HALFWAY to "SIMPLE LIFE" in MALAYSIA

マレーシアでなるべく地球にやさしく暮らしたいと願う、マンガ好き主婦のブログ

分別とリサイクルと、思考停止

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ええ言葉。しみる…


いつからごみを「分別」するようになったんだっけな。私が中学生、いや高校生くらいからだったかなぁ?

17歳の頃のイギリス生活で、瓶でも生ごみでも何でも一緒に入れることに驚きと不快感を感じたのを覚えているから、その頃には自分の中で分別が定着していたんだろう(まぁ現在のマレーシア生活も似たような感じだけど)

 

日本での分別の区分は自治体によりけり。ただ、実家でも一人暮らし時代も、分別区分表を冷蔵庫に貼っていそいそと分けてたな。

日本人の「分別」習慣、その生真面目さは素晴らしいと今でも思う。
分別すれば、その先ちゃーんとリサイクルされる。リサイクルは良いことだ。長年そう思っていた。

でも、それがかえって思考停止を生んでいたと、現在 猛省している。


「リサイクル」の落とし穴。
前にも書いたように、今日まで生産されたプラスチック製品のうちリサイクルされたのはわずか9%。12%は焼却(高性能の焼却炉でなければ、焼却時にはダイオキシンを発生させる)。残り79%は埋め立て処分、もしくは自然環境に投棄されている(生分解されず悪臭や有害物質を発するのは、もうお分かりですよね?)。

私が盲目的にリサイクルを信じてごみとして出していたプラスチックは、実際ほとんどリサイクルされていなかった(それにプラスチックは、アルミやガラス瓶と違って2~3回程度しかリサイクルには耐えられない程度の弱い素材。リサイクルの過程で有害物質を出すこともあるし、品質が低下するダウンサイクルも多い)。
その多くが中国に輸出されてて、一昨年・去年と中国が段階的に受け入れをストップしたことで、行き場のなくなったプラごみが各先進国に溢れている…というのはご存知の通り(あとマレーシアなど東南アジアにも)


リサイクルは結局、廃棄物をどうするか、という事後処理に過ぎない。
だから、本来はリフューズ(断る)、リデュース(減らす)、リユーズ(再利用する)の徹底が先。それでも残ってしまった先に「最終手段」としてリサイクルがある、という考え方をzero wasteの理念として知り、今ではその深みに魅了されています。

 

例えば、お菓子なんかはプラ袋の中にまたプラ袋で個包装されたものが多いよね。
それ、本当に必要? たしかに酸化や湿気対策にはなるけれど、すぐ食べるものなのに、便利さが臨界点越えてない?
スーパーの野菜たち。きゅうりやナス、アスパラガスとか束ねるのにラップ包装、必要? 輪ゴムで良くね?

 

そもそも、プラスチックの原料である石油。日本は主に中東諸国から年間約9兆円もかけて輸入しているそう。
そのうち使い捨てプラスチック製品に姿を変えるのは全体から見ればごくわずかですが、海や山、川など自然環境に流れるのは消費財や食品包装系のプラ製品ばかり…。この途方もない現状を知るにつれ、無力感を感じると共に、一人ひとりがこういった製品にNOをつきつけていくことが脱プラスチックの第一歩にして、最大のパワーになるんじゃないかと思うようになりました。

 

一旦生産されてしまったプラスチックを無くすことは、いち消費者の私にはできない。
ただ「プラ容器・包装の製品は買わない」ことで、声なき声を世の中に届けていくことならできるのではないかと。

私もまだ全然ごみゼロではないけれど、「ゼロにしたい」そう願っているだけで、プラごみもだいぶ減るもんです。